蜂蜜生せんべい 田中屋

愛知県知多半島銘菓 半田のおみやげ 生せんべいといえば 田中屋


美味しい本物は一人歩きしてくれる

抹茶味を開発後、田中社長は、先代から常に言われていた「広告とか宣伝をするくらいなら、いい材料を使え」という言葉の意味をまさに実感する日々だと言います。実際、抹茶味は、ホームページでの発売開始の紹介はしたものの、その他の宣伝は一切することなく順調に売り上げを伸ばしています。

「先代は、『美味しいものをつくっていれば、いやでも拡がっていく』と常日頃から言っていたのですが、本当にそうでしたね。私としては実は宣伝をしなかった一番の理由は、興味本位で食べた人ががっかりするのが怖かったから(笑)。それまでの固定客が、抹茶味を試してくれて、自然に『これもいい味だね』と広まってくれればいいと思ったのです。そうでなければ、伝統をこれからもつなげていくうちで出す商品ではないだろうという思いもあってね」

「その伝統をつなげていくことに、これからも貢献できるように、常に鮮度のいい「田中屋スペシャル抹茶」を提供し続けることが私の使命だな」

「その気持ちが本当にうれしいね。川口さんが提案してくれたから、川口さんがいたから、生せんべいの抹茶味は、今、皆さんに愛される総本家田中屋の一つの顔になったんです。川口さんがいなかったら、おそらくやっていないよ。必ずいいものを持って来てくれると信用できるところがあって初めて、チャレンジというのはできるんだから」

伝統の生せんべいと西尾の抹茶の夢の共演は、実は、伝統をさらに高めるいいものをつくり出したいという熱い心を持った人たちの夢の共演でもあったのです。


伝統を引き立たせる新たな味への挑戦

産業まつりで最初に販売された生せんべいの抹茶味は、それまでに何回も試作を重ね、とりあえず出しても恥ずかしくはないものにはなっていたものの、田中社長と川口さんにとっては完成品とは呼べないものでした。しかもその時に使用した抹茶は40g3,000円もする高級品。確かに色も味も良いものの、コストが高くついて、とても採算性が合うものではなかったのです。

「何より問題だったのは、『おいしいけれど、毎回味が違う』という評価。味が安定するまでに1年ぐらいはかかりましたね」

川口さんは当時をそう振り返り、続けてこう話します。

「総本家田中屋さんの生せんべいの黒も白も、添加物や着色料など一切使っていない本物の味。抹茶味も、もちろん西尾の抹茶100%の本物を提供することに意味があるわけです。さらに純一さんから言われたのは、挑戦するなら、抹茶味だけが引き立つのではなく、黒と白、そして抹茶と、この3つが相乗効果で美味しく味わえるものにしたいということ。つまりは、うちが提供する抹茶の“田中屋スペシャル”の出来次第で、生せんべいの伝統を引き立たせるものができるかどうかが決まる。開発途中では、こちらから提案したものの、『なんでこんな胃が痛くなる提案しちゃったんだろう』って思ったことも実はありましたよ(笑)」

ポイントは、「味」と「香り」と「渋み」の3つの要素が、生せんべいの生地にどれだけうまく調和して出るかということ。それを川口さんは、「ラーメンでいうところのダブルスープ、トリプルスープのようなもの」と表現します。3本の柱が立体的にうまく調合してあるものが、現在の「田中屋スペシャル」なのだと。

「色もなかなか難しかったね。私はもう少し濃い色がいいとか、鮮やかな色がいいとしか言わないから、川口さんは苦労したよね。胃が痛んでいるだろうという察しはついていたけれど、私も要求も曲げることはできなかったから(笑)」


物事にはやるべきタイミングがある

そんな中、商工会議所青年部の会合で再び、青年部の会長をはじめとしたメンバーから「生せんべい」の話が出ます。

「『白と黒だけじゃ、あかんて。もっといろんな色がないと』『イチゴ味がいいよ』『チョコ味はどう?』なんて、みんな好き勝手なことを言ってくれる(笑)。でも、真剣に言ってくれていることはすごく伝わってきましたね」

最終的に田中社長を動かした決め手となったのは、仲間の一人から言われた「新しいことをやる時は調子がいい時にやるべき」というアドバイスでした。本音を言えば、「生せんべいの歴史に、ひとつぐらいは自分も何か残したい」という思いもあった田中社長の背中を仲間が押してくれたのです。こうして、最初に川口さんが提案を持ちかけてから1年半、2006年5月にようやく「生せんべい」の抹茶味の開発が動き出したのです。


踏み出せなかった最初の1歩(2/2)

「うちが今も順調に商売ができているのは、先代が言うには、いち早く機械化を図ったことが功を奏したということですが、機械化に踏み切れた背景には、ありがたいことに、うちの生せんべいには根強いファンの方がいて下さり、世代をまたいで愛して下さるお家が数多くあったことが大きいと思うのです。流行り廃りが非常に目まぐるしいこの時代にあっても、いやそういう時代だからこそ、伝統の味を守り育てることが私の使命だと感じていたんです」

そんな田中社長の心をまず揺さぶったのは、「川一製茶有限会社」の2代目社長・川口伸一さんでした。
2006年の半田の産業まつりから遡ること2年。半田で製茶店「川一製茶有限会社」を営んでいた川口さんは、お茶のセレクトショップとしてさまざまな茶葉を扱う中で、同じ愛知県西尾市周辺で生産される抹茶の味と製造技術の素晴らしさに惚れ込んでおり、常々、その良さをもっと広く知らせたいと考えていました。

「抹茶というと、多くの人は宇治の抹茶をまず思い浮かべるかもしれませんが、実は西尾市周辺は昔から全国有数の抹茶の産地で、全国生産量の約20%がここから生産されています。この『西尾の抹茶』は、特許庁の地域ブランドとして、茶の分野で抹茶に限定したものとしては全国で初めて認定されたものでもあるんです。その特徴というか価値は、段階的に遮光の度合いを調整していく棚式覆下栽培によって「テアニン」といううまみ成分を引き出し、さらに茶葉を曳く際にも、必ず伝統的な石臼挽き手法を用いて、自然なうまみ、豊かな香りを引き立たせていることです。だから、本当に美味しい」

そんな川口さんが、西尾の抹茶の良さを広めるために着目したのが、幼いころから食べ親しんできた「生せんべい」だったのです。幸い、川口さんも商工会議所青年部のメンバーで、田中社長とは周知の仲。しかし、最初は川口さんの思惑通りには事は運びませんでした。

「『手間だから、うちはやらんよ』と、あっさりと断られました(笑)。うちとしては、田中屋さんの生せんべいにきっと合うだろうという抹茶ブレンド“田中屋スペシャル”を用意し、提案ぐらいはさせてもらえるだろうと思っていたんですが、それすらさせてもらえず(笑)」。

「ある意味、怖かった気持ちもあったんだよ。それまでにも『違う味もつくってみたらどうだ?』といろんな人に勧められ、ユズやシソ、桜の味などの試作品づくりにチャレンジしたこともあった。やってみるとある程度の味には仕上がる。でも結果的には『いろんな味もできるな。でもやめておこう』となってね。新しい味を出したことで、万が一、それが失敗したら、今まで先代たちが築き上げてきたものが崩れ去ってしまうのではないか、伝統に傷をつけてしまうのではないか。そういう不安が先立っていたというかね。本当は、抹茶味にはかなり惹かれていた。私自身が抹茶が大好きだったから(笑)。ただ踏み出せなかった」


総本家田中屋 「抹茶味」開発秘話

家康が愛した「生せんべい」と
抹茶のトップブランド「西尾の抹茶」の夢の共演。
その開発の舞台裏には、熱い出会いがありました。

1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いの折、徳川家康が、織田信長勢に押されてやむなく母(伝通院)のいる知多半島へ逃れる道中、立ち寄った半田の百姓家で食してたいそう気に入り、献上物とさせたと今に伝わる「生せんべい」。その流れを汲む総本家田中屋では、1930年(昭和5年)の創業以来、白と黒の2種類の生せんべいをつくり続け、地域に愛され、全国からも引き合いのある愛知県知多半島の特産銘菓に育て上げてきました。そんな中、2006年(平成18年)、ふたつの伝統の味に新たな仲間が加わりました。抹茶のトップブランド・西尾の抹茶を100%使った「抹茶味」です。発売以来、評判が評判を呼び、瞬く間に生せんべいのひとつの顔になった感のある抹茶味。しかし、その開発は、試行錯誤の連続でした。その舞台裏をご紹介しましょう。